『芝生の復讐』 リチャード・ブローティガン

『芝生の復讐』 リチャード・ブローティガン 藤本和子

“Revenge of the Lawn” by Richard Brautigan

 

『アメリカの鱒釣り』のあと、1962~70年のあいだに書かれた62の短編を集めた一冊。根底にあるものは一緒で、「アメリカの鱒釣り」という言葉や概念を使わずに書いたらこうなったという感じがする。回想や当時の出来事や物語風のものなど、多彩な短編が散りばめられている。特におもしろかったもののあらすじと感想を書く。

 

”芝生の復讐”

「彼女なりに、波乱のアメリカ史に狼煙のごとく光を放つ存在である」祖母は、ワシントン州の小さな郡で酒の密造をやっていた。ある日、「永遠のオレンジと陽光の夢」フロリダの土地を売りに来たジャックという男。彼はそこにとどまり、三十年以上祖母の家で暮らした。芝生を放ったらかしにしたために降りかかる災難を、ジャックは前庭の復讐だと思い込んだ。報復に木を伐り倒して、たっぷりと石油をかけ、火をつける男の姿。それが「わたしの人間としての最初の記憶」だった。

 

本書のタイトル作は冒頭におさめられている。死んだ祖父が大切にしていた芝生を台無しにした男が、その前庭で木を燃やしている姿。それがブローティガンの、「失われていくアメリカ」というテーマの源泉なのかもしれない。

 

“1/3 1/3 1/3”

彼氏が小説を書き、それを編集するという女に持ちかけられて、わたしがタイプすることになった。印税の分け前は1/3ずつだ。カップルが住んでいるトレーラー・ハウスで原稿を読ませてもらう。外はどしゃぶりの雨だ。

 

「あんたってふんとにこ牛のカツレツが好きねいとメイベルはいたかのじょはきれいくて林ごのようにあかい口ぶるのところにインピツを持って*1持ていた!

 あんたに注門とってもらうときだけだよおとカールはいたかれはドちらかというとはにかみやの木こりではあたがセイザイショを経栄しているてておやどうようからだは大きくつおいのだた!

 グレヴィをいっぱいあげっからね!」

 

この調子で原稿が続いて、最後の一文で突然現実に戻る。そのときわたしたちは「アメリカ文学の扉を叩いていた」のだとうそぶきながら。こんなぶっ飛んだ訳を読むと、原文が気になってしかたがない。

 

“You sur lik veel cutlets don’t you Maybell said she was holding holding her pensil up her mowth that was preti and red like an apl!

 Onli wen you take my oder Carl she said he was a kind of bassful loger but big and strong lik his dead who ownd the starmill!

 Ill mak sur you get plenty of gravi!”

 

悪い意味で言文一致した原稿を「アメリカ文学*2と言う皮肉がおもしろい。

 

“『アメリカの鱒釣り』から失われた二章”

失くしてしまった「レンブラントクリーク」「カーセイジ川の凹地」の二章を思い出しながら書いた。当時なぜすぐに書き直さなかったのかはまったくの謎で、とうてい説明できない。

 

設定なのか本当なのかわからないところが良い。「カーセイジ川」が寓話的でおもしろかった。

 

“太平洋のラジオ火事のこと”

「世界最大の海はカリフォルニアモントレーに始まる、もしくは、そこで終わる」

 

妻が出て行って傷心の友人と二人で、ポートワインを買って太平洋に向った。飲みながらトランジスタ・ラジオのロックンロールを聴く。ビーチ・ボーイズカリフォルニア・ガールズを歌った。友人にお決まりの慰めを言ってもどうにもならなかった。やがて、彼はラジオに火をつけた。誰かがラジオに火をつけるのを見たのは初めてだった。炎のなかレコードたちはヒットチャートを転落し、「すべての歌に取り返しのつかない終末がおとずれた」

 

これが一番のお気に入り。設定を女性に変えて作られた動画があった。短編小説は映画を作る練習にぴったりだと思った。そのうちやってみたいな。

 

Pacific Radio Fire - Based on the Short Story by Richard Brautigan

 

スカルラッティが仇となり”

サンノゼの一間きりのアパートでヴァイオリンの稽古をする男と住むのは、ひどい難儀なのよ」空っぽの拳銃を手渡して、彼女は警察にそういった。

 

この通りたったの二行で終わるのが想像力をかきたてる一編。

 

アーネスト・ヘミングウェイタイピスト

友人の作家がヘミングウェイタイピストに時給十五ドルでタイプしてもらったら、「泣けてくるほどにすばらしい句読点をつけられ、ギリシャの神殿のようにも見える段落を持って」原稿が戻ってきた。

 

彼女はアーネスト・ヘミングウェイ

彼女はアーネスト・ヘミングウェイタイピストだ。

 

これも好き。ロックンロールの歌詞のような文章。

 

“サン・フランシスコYMCA讃歌”

詩好きが高じて、家の中の鉛管類をすべて詩で置き換えてしまった男。浴槽はシェイクスピアに、流し台はディキンソンに、便器は二流詩人たちにした。「この世のものならぬ酒を飲み」のなかで皿を洗ったら絶望しそうになり、二流詩人たちはクソの役にも立たなかった。鉛管を元に戻そうとすると詩人たちはそこを動かないと拒否した。警察を呼ぶぞと言うと、「文盲めが、やれやれ、おれたちをブチこんでみな」と彼らは声をそろえた。

 

「消防隊を呼ぶぞ!」

「焚書主義者め!」詩たちは怒鳴った。

 

湯沸し器のマクルアと洗面台のマヤコフスキーがそれぞれ英語とロシア語で「かくのごときは許せない」というと、男を階段から突き落とした。彼はいまサン・フランシスコのYMCAに住んでいて、毎晩暗い風呂場で独り言をいっている。

 

これがいちばん笑った。消防隊(fire department)は直訳すれば「火災部」なので、「本燃やし(book burner)め!」と、とんち的に言い返している。さすが詩人たち。

 

“東オレゴンの郵便局”

子供のころオレゴンの小さな町に叔父を訪ねたときの回想で、熊が印象的な話。郵便局の壁にマリリン・モンローのヌード写真が貼ってあるのは変(strange)だと思ったが、確かにわたしはよそ者(stranger)だった。奇妙(strange)なのは、自殺したマリリン・モンローの写真を新聞で見て、この熊の話を思い出したことだ。

 

この本の中では長めの一編。うまいなあ。

 

第一次世界大戦ロサンジェルス航空機”

義弟から義父が死んだという電話があった。妻が買い物から戻ってきたらそれをどう伝えればいいのか。けれども、ことばで死を偽装することはできない。「きみのお父さん、きょうの午後に亡くなった」あれから十年、彼の死がわたしたち皆にどういう意味を持つのか、ずいぶん考えた。

 

これが最後の一編。それから義父の人生が聖書ふうの33節で書かれ、こう締めくくられる。

33 「きみのお父さん、きょうの午後亡くなった」

 

もちろんこの他にもおもしろい章やフレーズがたくさんあった。村上春樹が下敷きにしてそうな箇所を今回もいくつか見つけたので、『アメリカの鱒釣り』のぶんとまとめて後日書きたいと思う。このあと『ビッグ・サーの南軍将軍』も読んで、いま『西瓜糖の日々』にとりかかったところ。すっかりブローティガン漬けになってしまった。

  

芝生の復讐 (新潮文庫)

芝生の復讐 (新潮文庫)

 

 

 

ハックルベリー・フィンの冒険〈上〉 (岩波文庫)

ハックルベリー・フィンの冒険〈上〉 (岩波文庫)

 

 

今週のお題「最近おもしろかった本」

*1:原文は一文字ずつ斜線

*2:ヘミングウェイは、すべてのアメリカ文学マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』に始まる、と言った。言文一致の始まりだ。ハックが語り手だから地の文もそうだし、ジムやトム・ソーヤーのセリフも当時の南部や黒人ことばで書かれている。なまりは聞こえたままに綴るし、文法もめちゃくちゃ。例えばgoingがgwyneだったり、theyにwasを使ったりする。「おら」が生き生きとしている西田実の邦訳も見事だ。