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九州国立博物館 「戦国大名 九州の群雄とアジアの波涛」

九州国立博物館 「戦国大名 九州の群雄とアジアの波涛」

 

今年2回目の太宰府。まずは二日市でカレーを食べる。小さいころ、三瀬峠に行く途中で何度も見た「ころしのカレー」という謎の看板。当時はリトルインディアンという名前だったその店は、いまは二日市にある。

 

女好きのオーナー(いま店をやっているのはその娘さん)が女性客を増やそうと開発した「女ごろしのカレー」は、甘めでフルーティーでなかなかおいしかった。ナオンコロイチ。

 

ころしのカレー

http://tabelog.com/fukuoka/A4003/A400301/40001694/

 

それから太宰府まで歩く。大宰府政庁跡でひと休みしようと思っていたのに通りすぎてしまった。アンティークショップを冷やかした。暑くてアイスが食べたくなったのでコンビニに立ち寄る。ガリガリ君元気ドリンク味とかいう間違いない新製品があった。食べながら歩く。やっぱり間違いなかった。

 

太宰府駅についたとき我々はもうへとへとになっていた。こないだは帰りに行ったアンティーク珈琲店へ駆けこんだ。なぜか知らないけどこの店の水はとてもおいしい。アイスコーヒーより水のほうがおいしかった。

 

珈琲専門店 風見鶏

http://tabelog.com/fukuoka/A4003/A400301/40004792/

 

特に神様とツーショットトークをする必要もなかったので、天満宮はスルーして博物館へ。いつもより人が多かったけれど、日曜日にしては少なかった。平日の東京の美術展よりも少ない。

 

九州国立博物館開館10周年記念特別展

戦国大名 九州の群雄とアジアの波涛

 

信長の野望将星録がなかったら歴史を好きになっていなかった僕には、たまらない企画展だった。戸次(立花)道雪が雷を真っ二つにした刀「雷切」、茶器「新田肩衝」、加藤”タイガー”清正が朝鮮で虎狩りをしたときに折れた「片鎌槍」などを見ることができた。道雪の話も清正の話も都市伝説だろうけど。

 

九州・山口の大名たちが有力商人からカツアゲした茶器は、だいたい秀吉に差し出すかカツアゲされて、最終的に徳川将軍家に伝わるというのがおもしろかった。あとは地域柄キリシタン・貿易・朝鮮関係のものが多かった。地図・海図も良かった。

 

刀剣類はほとんど鎌倉時代のものだった。ギブソンレスポールなら1959年、フェンダーストラトキャスターならスラブ・ボード、というのと同じように刀は鎌倉に限るのだろうか。

 

戦国時代は、日本の歴史の中でもかなり自由で混沌とした時代だったのだと思う。夏目漱石の言葉を借りると「自然主義的道徳」の時代だ。人間は不完全なもので、誰もが良い面も悪い面も持っているという「事実」を土台にしたのが自然主義の道徳。その後300年続いた江戸時代は「浪漫的道徳」の時代。誰でも努力すれば完全な、模範的なことができるという「理想」を土台として、それを押し付ける道徳。

 

この二つが時代に合わせてリニューアルされながら繰り返すのだと漱石は言っている。「物は極まれば通ずとかいう諺の通り、浪漫主義の道徳が行き詰れば自然主義の道徳が段々頭をもたげ、また自然主義の道徳の弊が顕著になって人心がようやく厭気に襲われるとまた浪漫主義の道徳が反動として起こるのは当然の理であります」

夏目漱石「文芸と道徳」

 

江戸のあとを考えてみても、これはもっともだと思わされる。明治・大正(自然)→敗戦まで(浪漫)→バブル崩壊失われた10年まで(自然)。それから現在までのことを考えれば、また浪漫主義の道徳に移っていっている感じがしてくる。

 

「ただもう一つ御注意までに申し上げて置きたいのは、国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きを置く方が、私にはどうしても当然のように思われます」

夏目漱石「私の個人主義

 

何でこんな話になったんだ笑 そんじゃーね!

 

コーエー定番シリ-ズ 信長の野望 将星録

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漱石文明論集 (岩波文庫)

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